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うつ病と「気分」の大問題

気分とは情動に揺り動かされていない時に我々が抱いている身体風景のイメージである

-アントニオ・R・ダマシオ (神経科学者)-

 精神科、心療内科を受診する方がお困りのことで最も多いのが「うつ」の問題です。

「うつ」を引き起こす代表的な病気が「うつ病」で、近年、わが国でも増加が著しいことが知られています。世界保健機構による全世界における病気による荷重(死亡と障害の合計)の統計*の中で2015年には10位にランクづけされています。2000年に13位であったことを考えるとこの病気の重みが世界で増していることがわかります。

こんなに多い「うつ」ですが学会でもマスコミでもネット上でも実にいろいろなことが発表されたり、まことしやかに言われたり話題にこと欠きません。「うつ」とはこう言うもので、こうすれば必ず改善するという「決定打」のようなものをまだまだ医学が見出せてないのも一因でしょう。

 では、そもそも「うつ」とは何なのでしょう?

 「うつ病」は「気分の障害」とされ、気分が「落ち込んだ状態」が「うつ」の状態だと理解されています。うつ病は病的に落ち込んだ「憂うつな気分」を主たる症状とする病気というわけですね。

 嫌なことがあると誰でも気分が沈む、落ち込んだ状態になるので「誰でも当たり前におきるうつ」と「うつ病」を区別するのは決して簡単なことではありません。医学的には多くの知見、経験をもとに作られた「診断の基準」に症状と経過を照らして病気か否かを判断することが一般的です。診断の基準に世界保健機構によるICD、米国精神医学会によるDSMが日本でも広く使われています。私も当然これらを利用していますが「うつ病をどう治療するか」については「身体の生理的状態にもどのくらいの異常が見られるか」を重要視しています。このあたりはまた後日お書きするとして、うつのうつたるゆえんである「憂うつな気分」の問題です。

 そもそもうつ病で悪くなる「気分」ってなんでしょうか?

 デジタル大辞泉によると気分とは

 快・不快など、ある期間持続する、やや漠然 (ばくぜん) とした心身の状態。

 とされています。漠然としたものの病気なわけですね。掴み所がない。では脳科学者はどう行っているでしょうか?高名な脳科学者であるアントニオ・R・ダマシオは気分を冒頭に述べたように「情動に揺り動かされていない時に我々が抱いている、身体風景のイメージ**」と言っています。何だかさらにわからなくなりました。

 私たちが気分について語る時、「いい、悪い」「爽快、憂うつ」のように「程度」を評価する以外に「今日はラーメン食べたい気分」「海へドライブに行きたい気分かな」「今日は1日どこにも行きたくない気分だわ」というように具体的な説明、特に何かをしたい、したくないというような何か行動に関する説明をつけないと上手に語ることができません。このように説明されている「気分の本体」について語ることは困難です。例えば「あなたの気分ってどう?」「え?今は悪くないけど」「いや、今の話じゃなくてもともとのあなたが持ってる気分の話よ」「いや、そりゃいい時もあればそうでないときもあったし、もともとって言われてもねー。」といった具合ですね。

 私たちが物事を「理解する」時には必ず言葉を使って理解します。言葉にできないものは感じることはできても本当の意味で「理解」できません。言葉も気分も私たちの脳、身体の中にありますが言葉と気分はとても遠い場所にあります。これが私たちが気分を上手に捉え、理解することを難しくしている理由です。当然、気分の状態である「うつ」の質や気分の病気である「うつ病」を本当の意味で「理解する」ことも難しくなります。

 先に述べたICDやDSMでは気分が病的に沈んだ結果としてできなくなってしまうことなどの「うつの結果」、つまり傍証を組み合わせて病気を診断します。犯罪捜査でいうなら決定的な物証はないが状況証拠を積み重ねて犯罪を立証するようなプロセスに似ているでしょうか。いつの日か気分を直接測定するようなことができるようになれば診断は大きく変わるでしょう。

うつ、うつ病の本体があるところの気分ですらこのように良くわかならいわけなので、うつ病に関しても実に様々なことが言われるのも当たり前なのでしょう。もしもあなたがうつ、うつ病でお困りであれば「この状態をどう他人に伝えていいかわからない」「自分のことをうまく言えず、なかなかわかってもらえない」という経験をされたことがおありかもしれません。それはある意味、気分の病気であるうつ病の本質的な問題と言えるのだと思います。

 そのことを周りの方に理解してもらうことがうつの治療の第一歩になっていきます。

*http://www.who.int/healthinfo/global_burden_disease/estimates/en/index2.html

**アントニオ・R・ダマシオ 「生存する脳」「デカルトの誤り」:厳密にはダマシオは気分に関連した概念として「背景的感情Background feeling」を提唱しておりこの説明である。ダマシオの概念を適応すると病的状態での気分は背景的感情と共通すると思われる。

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