その頃は「虫の冬眠」と称して時期が来れば治ると信じていた。ひたすら、じいーっとしていると自然に治っちゃう。
- 北杜夫 作家 精神科医 -
大先輩の精神科医であり芥川賞作家でもある北杜夫さんは日本で最も名の知れた「躁うつ病」の患者さんでもあります。私は子供の頃、愉快な「ドクトルまんぼうシリーズ」の大ファンでしたが後に読んだ「夜と霧の隅で」は同じ作家が書いたとは思えない沈鬱さが今でも印象に残っています。
冒頭の言葉は愛娘、斉藤由香さんとの共著「パパは楽しい躁うつ病」の中でご自身のうつ病期を振り返っての一言です。
北さんは当時まだ一般的でなかった「うつ病」「躁うつ病」という病を世間に知らしめたという点でも語られることの多い方です。私は彼の作品には大いに興味がありましたが病状には疎く、近年出版された上述の本でその病状と経過を知るところになりましたが、北さんの躁うつ病の珍しさに驚かされることになりました。まず、タイトルからして「楽しい躁うつ病」ですが、この病気、まずもって楽しいこと自体が稀でだいたい非常に厄介なものです。
以前、「うつ」を引き起こす代表的な病気がうつ病であることを書きました。「うつ」を引き起こす病気で次に多いのが躁うつ病で、正式には「双極性障害」と呼びます。双極性障害はさらに躁状態の程度でI型とII型に分類されます。躁状態が重いのがI型、軽いのがII型です。ではI型が全体的に重症かというとII型の方がうつが長引くという問題がありどっちもどっちです。「躁うつ病」というと躁とうつを交互に繰り返す印象がありますが躁病の期間に比べてうつの方が圧倒的に多く、II型の軽い躁病が見逃されるとうつ病と「誤診」されることが多々あります。
まずは躁うつ病の厄介な診断についてお話し。
そもそも躁病とはどんな状態でしょうか?以前、うつと「気分」の問題について書きましたが「躁」も気分の病状でうつとは逆に振れた状態です。気分は行動に密接に関わっています。うつが「普段なら問題なくできることがやれなくなる状態」であるのに対して躁は「普段ならけっこう難しいことでもどれだけでもできる」「普段ならやらないようなことをどんどんやってしまう」という状態で、数日から数週間続きます。躁とうつに唯一共通するのが不眠ですがうつの不眠は苦しくて仕方ないのに対して躁の不眠はほぼ苦にならないというのが対照的です。つまり「いろんなことがどれだけでもできる」「眠れないけど特に苦にもならない」というのが軽躁病なのですが、これ果たしてこれが病気だと誰が気づくでしょうか?そこにまず診断の厄介さがあります。
この「病状」が消費に向かうと浪費になって大問題になることがありますが生産に向かうとちょっとしたスーパーマンです。どれだけでも仕事ができます。患者さんの中にはこのスーパーマン状態が忘れられず「またあの病気になりたい」という方も稀ではありません。軽躁病は「病気」と言われて私達が思い描くものとはやや趣が異なっているのです。北杜夫さんは躁状態になると株と競馬で浪費していたそうですが創作活動に向かうと大きなお金を産みますからなんとかなったのでしょう。才能の豊かな人ならではでしょうか。
軽躁病を見逃さないのが診断ではとても重要なのですが、もう一歩踏み込むと「どの程度の普通じゃない行動が」「どのくらいの期間」続けば病気か?という問題に突き当たってしまいます。ひいきのプロ野球チームの優勝で何人もの人が一晩くらい躁病のようになるのはご承知の通り、でも1週間ならどうですか?3日3晩なら?ね、簡単じゃないでしょう?
またもう一つ「躁とうつが混じる」状態がけっこうあり、これをどっちととるかという問題もあります。「え?うつと躁とは逆って言ったじゃん?」そうなんですが、つまりこういうことです。
患者さん「気分が沈んで憂うつで何もできないんです。」
私「それは大変ですね。ではどんな風に1日をお過ごしですか?」
患者さん「大事なことが何も手につきません。昨日なんて眠れなくて夜中に絨毯の毛玉をただただむしっていたら朝になっていました。」
これが「普通でも簡単にやれないこと」であることはお分かりでしょう。
気分は沈んでいるのに行動は「やりすぎ」ということは多々あり、こういうのを躁とうつが混じるという意味で「混合」とも言います。もちろん他のパターンの「混合」もあって事態をさらに複雑にします。こうなってくると躁うつ病、双極性傷害の診断がいかに厄介なものかがお分かりいただけると思います。
しかし最も厄介なのが「躁病が全くない双極性障害の患者さんがいる」という大問題があります。今までの話はなんだと思われるかもしれませんが、双極性障害の患者さんの躁とうつは交互に現れるわけでも、どっちかが必ず先に現れるわけでもありません。順番として「うつ」「うつ」「うつ」「躁」「うつ」なんてことが普通にあるわけです。最初の「躁」が出るまでは逆立ちをしても双極性障害の診断はできません。誤診もへったくれも正しい診断は病気になってからしばらくの間は絶対に不可能という問題につき当たってしまうわけです。
こういう診断、線引きの難しい問題を解消、というか棚上げするために近年提唱されているのが「双極スペクトラム」という概念です。これは気分の病気をうつ病、双極I型障害、双極II型障害という風に無理に線引きして分類するのではなくBiporality(双極性、双極特性)という体質が強い、弱いという一連のものとして理解しようという提唱です。身長を「高身長」「中身長」「低身長」と分類せずに単に何cmと表そうというのに近いのですが何せ物差しでは測定不能な「体質」ですからそう単純にはいかないのが現状です。これを先ほどの診断に適応すると「気分障害でBiporality小=うつ病」「気分障害でBiporality中=うつ病」「気分障害でBiporality大=双極II型」「気分障害でBiporality特大=双極I型障害」といった感じになります(図)。
それでは患者さんのBiporalityの大小をどう見極めるのでしょうか?判断材料にはいろんな要素がありますが、多くは混合の具合や経過の微細な特徴、薬の効き具合、はては元々の患者さんの人となりといったことまでを含む「うつの彩り具合」を見極めていくというちょっと専門的で複雑な作業が必要になります。
先ほどの例のように最初に「うつ」「うつ」「うつ」と来てもBiporalityに彩られたうつが認められた場合、つまりBiporality中以上の場合はうつ病の治療ではなく、双極性障害の治療を行う方がうまくいく方が多くおられます。「双極スペクトラム」は治療における実益面からの支持の多い考え方と言えます。
ちょっといつのまにか北杜夫さんから随分離れてしまいました。ここまでは主に診断をするお医者さん側からみて双極性障害は「診断が厄介だー」というお話でしたが次回は「彩り」の実際と双極性障害の治療のお話です。