人が苦悩の中に黙している時、私の悩みのほどを言う力を、神様は私に与えてくださった。
- ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (詩人 小説家 科学者) -
うつ病で障害される「気分」が言葉で表すことがなかなかできないものなのでとらえにくく、周囲に理解してもらうことが難しいということを先日のブログで書きました。なかなかわかりにくいうつ病ですが、これを表すために使われる言葉がいくつかあり、その一つに「うつは心の風邪」というものがあります。この言葉は「だれでもかかる病気である」「治る病気なので病院に行こう」という意味で使われ、うつ病の理解に一役かいました。しかしいくつかの誤解も生んだとの指摘も多くなってきています。私は「風邪のようなうつ病もあればそうでないうつ病も多くある」というのが正確な表現かと思います。
例えば日本でうつ病の薬を発売するために治験をすると抗うつ薬を飲まなくても多くの患者さんのうつ病が比較的短期間に改善するという結果が繰り返し示されます。自然に短気に治る風邪のようなうつ病がそれなりに多いのも間違いないようです。その一方、米国で行われた大規模な研究であるSTAR*Dという研究では様々なうつ病の薬を一定期間飲んでも半数近い患者さんのうつ病が完全には治らなかったと報告されています。これは日本と米国の違いというわけではありません。うつ病はとても多様な経過を持つ病気なのです。
私が大学で教鞭をとっていたころ若い先生や学生さんには「患者さんがうつ病の診断基準を満たしたということは患者さんが苦しんでいるのが腹痛であることがわかったくらいに考えてください」と伝えていました。「患者さんがお腹が痛いのがわかったら次に何をしますか?痛み止めを出しますか?胃薬を出しますか?」と尋ねるとみな一様に「まず腹痛の原因を調べます」と答えてくれます。うつ病も同じです。うつ病は様々な他の病気の結果として生じることも多く(二次性のうつ病と言います)原因も実に多彩です。体の中に特定の原因がないものが一次性の「普通のうつ病」というわけですが上で述べたのはこの普通のうつ病ですら経過がとても多様だという話です。うつ病全体の多様さは言わずもがなです。
原因が多様であるという点ではうつ病は風邪に似てると言っていいと思います。風邪のような咳、痰、発熱を主な症状とする病気も数え切らないくらいあり、原因が様々だからです。

最近、田中圭一さんの「うつヌケ」という本*を読みました。副題は「うつのトンネルを抜けた人たち」というもので「心の風邪」なんかではない、長引くうつを経験し、そこから抜け出した人たちの物語が手塚治虫風の漫画でとても読みやすく描いてあります。この本の素晴らしいところはうつ病の多様な実態を実によく描き出しているということです。一人として同じうつ病がないことは時にうつ病の患者さんを孤独にしますが、この本を読むとそれぞれのうつと上手に付き合いそこから抜け出て行けるんだということがよく解ります。専門家の間ではこういう患者さん一人一人の物語は「エビデンスレベルが低い」ものとして近年とても軽視される傾向があります。うつに苦しむ患者さんのために描かれた本ですが専門家にこそ読んでほしいという気もします。
多様なうつ病ですが「うつヌケ」に登場する人たちには一つの大切な共通点があります。著者の田中さんの取材に答えてとても豊かにご自身のうつの体験を語っている、言葉にしているという点です。
何かを理解していくために言葉は欠かせないものです。自身のうつの経験を言葉にし語っていくということは「つかみどころのない気分の障害」を「なんとか付き合えるもの」に変える本質的な作業なのでしょう。病気がよくなるにつれてうつの体験を語れるようになり、語るほどにもっと良くなり最後は「抜けていける」ということなのだと改めて教えられた気がします。
*うつヌケ 田中圭一 角川書店 2016